2012年4月28日土曜日

マイアミ忘備録-4


マイアミ忘備録-4
アート好きは大勢いるだろうけど、いったいアートの何が好きなのか?
「アートは自由」言うのは簡単だが体験する機会は日本の教育制度には少ない。
見る時も創る時も、
「自分でルールを創り上げることの喜び」
美術の教育はここを教えるべきではないのか!

日本のアートシーンをとやかく言う資格はないが、日本の美術教育には一言いいたい。


搬入日

ここでマイアミ忘備録の主な登場人物を紹介しておこう。

後藤健二--国際ジャーナリスト、こうづと共にアートユニットthe chordを結成し、I.A.A.を始動する。

ゼンジ--独自の手法で雅な空気を纏った作品を創りだす京都出身の作家

高橋靖典--I.A.A.プロデューサー メンバー中唯一の大人、年下だけど、、。

feebee--モダンジャパニーズの先駆者。温故知未来。

オグスさん--描きたいモノしか描かない。ハッピー太陽画家。

シゲ--風来坊絵描き どこでもハープ(ハモニカ)が相棒

エレナ/Elena Dodon--ケンちゃん(後藤健二)がヨーロッパから招いたアシスタント(from Republica Moldova

sige--作品だけが海を渡ったストリート系作家

Mr.ジョージ(red dot責任者)笑顔の裏には??白人 推定34

Ms.タマル(red dotスタッフ)無愛想な中近東系アメリカ人女性 推定30

向かいのギャラリーの女性--ツンデレ白人、推定25

斜め裏のギャラリーの女性--セクシー系カリビアン 推定32

ホテル近くのスペイン料理店の店員--陽気な男女数名

ホテルの受付--スマートな黒人青年

ボランティア通訳のお二人--現地ソニー関係の在マイアミの女性 推定、、、歳

こうづなかば--日記の書き手

以上、栗本薫のグイン・サーガ並みの登場人物の多さだ。

*参加作家の方々の作品は過去ダイアリーを御覧下さい。

人生には予期せぬタイミングで予期せぬ出来事が起こる。
今回それは我が盟友後藤健二に降り掛かった。
渡米2日前のぎっくり腰、、、うそぉ〜

精神的支柱を失う、、サッカー日本代表で言うと遠藤保仁だ、民主党で言うと、、、、、、、
とにかく初日からバイリンガルのスタッフとPCを失う事になった。

リトルチャロを6割しか理解出来ない僕に何が出来るというのか、、、
しかも読み手が変わると理解率が4割くらいに下がるのだ。

そして搬入日の朝が来た。
good morning miami!


2012年4月26日木曜日

マイアミ忘備録-3


マイアミ忘備録-3
世界地図をひろげて、生涯で行かないだろう場所3つを選べば、マイアミは確実にランクインだろう。
しかし今夜はその街の街灯を頼りに歩いている自分が居る。

日本のアートシーンをとやかく言う資格はないが、勝手に世界を散歩することくらいはゆるされるだろう。


夕食

基本的に歩いて行ける所が好きなので一番近い場所のスペイン料理店に。
気さくな店員にそこそこの味と価格。
面倒なので毎晩ここでいいやと、思い始める。
明日からの冒険を前にみんなで乾杯!
たのしいぞ!とっても楽しいぞ!

明日にそなえてそこそこに引き上げる。
言い忘れたが、僕だけホテルが別なので飲めないのよね。
クルマで5分程の別のモーテルへ移動。

独りで走るビスケーブールバード。

クリス・アイザックを聞きたい場面だ。
しかしラジオのスイッチがよく分からない、、、今夜はあきらめて走ろう。
うっかりしてると曲がるべき道をスルーしそうだ。
人生と違って道は間違えても戻れるけどね。
いや、人生も戻れるな、いつでもどこでも自分次第だ。

世界の隅々で、パーティーは終わったり始まったりしている。
そんなことを考えていると着いた。なにせ5分程の道のりだからね。

モーテルの常夜灯はブルーだった。
ますますクリス・アイザック的だが、オシャレではなく、防犯だ、、、しょうもない知識があるのも考えものだな。


2012年4月25日水曜日

マイアミ忘備録-2



マイアミ忘備録-2
今回の7組のアーティストはほとんど初対面。
世界の空気を求め、もう一度アートの自由さを感じてみたいメンバー達だ。

日本のアートシーンをとやかく言う資格はないが、勝手に道をつくることくらいはゆるされるだろう。


D-104

REDDOTテントの会場に着いたのは18:00頃、東京の事務所を出てからすでに20時間は経っている。
しかしこれから始まる出来事を考えると興奮し、まるで疲れていない自分に気づく。
参加作家のみんなも同じ。疲れと高揚感が混ざり合った様な妙なテンションで会場を一周し様子をうかがう。
明日からの搬入予定なのにもうすでにガンガン搬入している様子だ、、、これが世界のやり方、事前のルールなどはあまり重視されていないのだ。

それらも織り込み済みだが東京は遠い、我々の組める日程の最大限前倒しでこの時間なのだ。
なんだかんだ言いながら入り口のセキュリティーをすり抜ける。
よし、まずは勝手に搬入口パーキングのテントの入り口に一番近場所に止めてしまおう。
幸い他の車は、、トレーラーは巨大過ぎて近くまで行けないようだ。
車からの荷下ろし隊と巨大なテントの中のブースの位置確認に数名がテントの中に侵入する。
なぜか好戦的な気分になる、、、。
これはやはり戦いなのだと気づく。

われわれI.A.A.のブースはパーキングから一番遠いD-104
図面通りのようでいて、細部がまるで異なる。ここは日本ではないのだ。
現場主義魂に火がつく。
日本的ご遠慮主義を脱ぎ捨てて、狩猟民族に変身しなければ!

まずはライトと脚立の入手が先決だ、数十ものブースに対してグリップの人数は足りていない。
とうぜん脚立の数など十分なはずも無く、作業をしているグリップを捕まえては、先にこちらに来るか脚立を貸してくれと交渉する。
ライトの数も事前にいくつ欲しいかオーダーするのだが、前回のニューヨークでは全くデタラメだったので今回もそうだろうと予測し、無料分の数しかオーダーはしていなかった。
案の定ライトのセッティングは適当で、ライトマンを確保した者がちといった様相が色濃くなる。

若くて気弱そうなメキシカンにターゲットしぼり話しかける、今日と明日の搬入作業時はこいつにいろいろと頼む事に決める。
もっていたミネラルウォーターのペットボトルをひとつ手渡し、関係をなごませることに成功。
ちょっとした気遣いがその先の成果に大きく影響するはずだ。
と、ここまでまるでアートに関係ないような出来事ばかり書いているが、これが個人予算で世界を相手にすることの現実なのだ。

そしてやはりと言うべきか、ニュヨークと同じように韓国勢は15以上のギャラリーが軒を連ね、コリアン街を形成。
行政の力も借りながらといいつつも彼らのパワーを見習いたい。
そうこうしているうちに20:00の終了時間が来た。
いきなり消灯。あたりでブーイングが起こる。
ここだけはキッチリするのね。
搬入本番は明日。

さてみんなをホテルにチェックインさせつつ夕食だ!

2012年4月24日火曜日

マイアミ忘備録-1





マイアミ忘備録-1
ニューヨークに続いてマイアミアートフェアへの出展を決めたのが半年以上前の4月頃。
震災の直後だったが、アートの力を信じて行く事を決める。
何かにすがりたかったのかもしれない、それが私たちの場合はアートだったのだ。
そして今回は何人かのアーティストを一緒に連れて行き、感動を分かち合うこともI.A.A.としてのミッションのひとつであった。
ニューヨークで感じた世界との疎外感、韓国を初めとしたアジア勢のパワフルな存在感、それらがここマイアミにもあるのか?
日本のアートシーンをとやかく言う資格はないが、勝手に憂うことくらいはゆるされるだろう。

20111128
初日-シカゴ経由マイアミ
乗り継ぎのイミグレで手荷物になんだかんだと言われ、あやうくマイアミ行きに乗り遅れそうになる。
空港が広すぎて困る。一度トラムを乗り間違えると確実に継のフライトはアウト!
なんとか機内に潜り込みシートに身を沈めた時にやっと緊張が少し解れた。もう乗っていれば着くのだ。少し眠ろう。
z z Z Z Z z Z Z。
マイアミの空港に着いた。(文章で書くように旅が出来ると、世界一周も一行に収まる)
空港はどこも同じ風景なので特に感慨は無いがI.A.A.として、出来るだけ参加作家みんなのアテンドをしようと気合いが入る。
荷物が無事に出て来るかどうか、、ここからまた緊張の連続だ。
少し時間はかかったが、全ての作品が無事に各作家の手許に。
またしても広い空港内を移動してレンタカーステーションへ。
日本では運転したこともない12人乗りのサバーバンに乗り込む。ライトの消し方すら分からないぞ、、、
レンタカーのナビとiPhoneの位置情報サービスを頼りに走る事30分程で夜の帳が降りたばかりのマイアミの一角へ。
突然巨大なテント群が目に入って来る。「ここか、、」
ニューヨークも大きいと感じたが、桁が違う、、、これがマイアミの最初の印象だ。

デカイ!何もかもがとてもデカイのだ。
INDEPENDENT ARTIST ASSOCIATION公式ページ