2012年5月26日土曜日

マイアミ忘備録-7


マイアミ忘備録-7
マイバッハ、フェラーリ、見た事も無い白いリムジン、、、
ここはモーターショウの会場ではない。
バーゼルマイアミのレセプション会場のエントランスからの眺めだ。

なんとも言いようの無い敗北感に包まれる。
個人としても都民としても、国民としても、、、。

日本のアートシーンをとやかく言う資格はないが、心が貧しくならないようにアートを身近にね。

















さてさて、そんな敗北感も会場内に入ったとたん一気にテンションが上がり、忘れてしまう。
圧倒的な空間。
物凄い量のアート作品、物凄い数のアートピープル。

ここはまるで人間の脳内。
あらゆる種類のイマジネーションがイリミダレル空間。
個々の作品は消失し、全ての時代と全ての大陸に存在する
人類のイマジネーションが繋がる場所。

通路を流れる人々は自分の気に入った作品の前で立ち止まりアートとイマジネーションの交感をする。
イマジネーションの交感はこの空間の内部で瞬間、瞬間に何千という単位で行われている。
人間とアートのイマジネーションの交感の波動がカラダを突き抜ける。
ひとつのアートに無限の答え、無限のイマジネーションに支えられるひとつのアート。

「そこは、地球が宇宙の中に剥き出しになっている場所。」
小松左京の「岬にて」の文章が頭をよぎる。
今まで美術館などでこんなことを感じた事はなかった。
「宇宙の中に剥き出しになっている場所」
ここを形容するのにこんなにぴったりの表現は無い。

膨大な作品のオーラに晒されながら、インプットしているのか吸い取られているのか分からなくなる。
正直、何一つ作品は覚えていない。
ただ、「お前のイマジネーションは束縛されている」と言われ続けたことだけは覚えている。
「アートはこんなにも自由なのに、なぜお前のイマジネーションはそんなにちっぽけで不自由なのだ?」
宇宙や星をテーマに作品を創り続けているのに、いつのまにか
それらを自分で矮小化してしまっていた。
小賢しい。それが己の正体だ。
猛烈に落ち込みながら、同じ分量の熱量が生まれるのを感じる。

アート、それはフィクションの最先端。
フィクションとノンフィクションの境目にアートは存在する。

少し熱く書き過ぎたが、
初老の美しいマダム三人組にヘアスタイルを褒められたことも付け加えておこう。


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